十勝毎日新聞に掲載された音更町の話題やお知らせなどを、
地域のみなさまや、十勝を離れて暮らす方々にふるさと情報
としてお伝えします。
第274回 [ 2007/12/14 ] 毎週金曜日更新
十勝めーる >>> 音更めーる
音 更 町
町長 山口 武敏
十勝年鑑2006より
(2005年11月28日発行)
人 口 43,075人
(男20,637人 女22,438人)
面 積 466.09平方キロメートル
花木鳥 スズラン・シラカバ
□主な動き
 任期満了に伴う町長選挙が3月29日告示され、現職の山口武敏氏が無投票で3選を果たした。山口町長は3期目のスタートに当たり、1.みんなの声が反映される町政、2.公平で公正な町政、3.人に温かく、たくましい町政−の3点を引き続き基本姿勢に挙げ、第4期総合計画(2001−10年度)を中心に、新たに始動した財政健全化5カ年計画(05−09年度)との整合性を図りながら“協働”のまちづくりを進めるとした。

 まちづくりの上では、“自治体の憲法”として全国的に関心が集まる「(仮称)自治基本条例」の制定作業に着手。7月、公募を含む委員15人で検討会議(津久井寛委員長)が立ち上がり、06年度導入方針を固めていた指定管理者制度については第1号の導入施設として町温水プールが決まり、9月定例町議会でそれに向けた条例の一部改正案が可決された。

 町の事業では福祉関係で新規の取り組みが目立ち、町内4公共施設での移動子育て支援センター事業や、保育園の延長保育などがスタートした。施設関連では希望が丘運動公園内で建設が進んでいた新・野球場が5月21日にオープン。10月29日には、音更川をまたぎ、木野と宝来両地区を結ぶ「宝来大橋」(延長307.7メートル)=道の街路整備事業=が供用を開始、町も記念事業を組み、地域とともに待望の開通を祝った。

 増加を続ける町の人口は9月末時点の集計で4万3,000人に到達。大型の宅地造成が一段落し、ペースは鈍化しているものの、現総合計画最終年度の目標人口である4万5,000人へ期待をつないだ。都市計画の関連では、06年3月の決定を目指し、十勝川温泉地区、開進地区、開進西地区の市街化区域編入についての町の作業が本格化。特に温泉地区の編入は長年の懸案で、定住人口の誘導による観光振興への期待が高まっている。

 このほか、4月には町内農場の死亡牛からBSE(牛海綿状脳症)の発生が確認された。
関 連 リ ン ク
音更町役場ホームページ
音更町図書館
音更町文化センター
音更町総合体育館・音更町武道館
音更町温水プール
音更町十勝川温泉観光協会
音更町の上下水道
2007年12月11日の記事
児童に命の尊さ伝える 下士幌小平和のつどい
 下士幌小平和のつどい2007」(実行委員会主催)が8日、下士幌小体育館で開かれた。太平洋戦争の開戦日に当たるこの日に、教師たちが音楽や演劇を通して平和と命の尊さを伝えた。

 「平和を実感し、子供たちを再び戦場に送らない決意を新たにしよう」との思いで、教員たちが中心となり、6年前から行っている。この日は児童や保護者ら100人が参加した。

 開会に当たり、宮本尚教諭が「戦争の悲劇は私たち大人が語り掛け、伝えていかなくてはならない」とあいさつ。教員たちはクリスマスにちなんだ器楽演奏を披露。続いて、約6万人の日本兵が亡くなったシベリア抑留の悲劇と戦争回避に情熱をささげた青年を主人公にしたミュージカル「異国の丘」を熱演した。

 児童たちは、先生たちが熱心に楽器を演奏したり、真剣な表情で演技する姿に引き込まれながら、約60年前に起きた戦争の悲劇を理解しようとしていた。(酒井花)
2007年12月9日の記事
豊田小児童がもちつき 育てた豆できな粉やあんに
 豊田小学校(中村政治校長、児童24人)はこのほど、同校で地域の老人クラブともちつき交流会を開いた。春から取り組んできた総合学習の締めくくりで、約70人がつきたてのもちをおいしく味わった。

 同校では3−6年生18人が学校農園で大袖振大豆と小豆の栽培に取り組み、4升の豆を収穫。この豆を使って11月末から下準備に入り、地域のお年寄りから石臼の使い方を教わるなどしてきな粉や小豆あんを用意した。

 この日は老人クラブの会員の協力で臼ときねでもちつきをし、3種類のもちと雑煮にして食べた。児童たちは「軟らかくておいしい」と喜んで食べていた。

 3年生の村橋まいさんは「自分たちで作った豆は格別」と言い、中村校長は「長い時間がかかって食べ物が作られることを、きょうのことを通して感じてほしい」と話していた。
(酒井花)
2007年12月8日の記事
うどんと十割そば講習会 木野新町寿クラブ
 高齢者団体「木野新町寿クラブ」(前田文将会長、75人)はこのほど、木野コミセンで手打ちうどんと十割そばの実技講習会を開いた。

 講師を務めたのは、芽室町内の農業六日市典子さん(45)。六日市さんは元教員である前田会長の音更中学校時代の教え子。講習会は六日市さんが呼び掛け、初めて企画された。

 会員14人が参加。うどんの実演では、十勝産の小麦粉「ホクシン」をビニール袋に入れ、両足で踏む作業に臨んだ。そば打ちも体験し、慣れない手つきながら、めんが切れないように仕上げた。

 最後に大きな鍋でゆで、それぞれ味わったほか、自分で作っためんを持ち帰った。前田会長は「うどんを踏む作業は面白かった。自分で作ったものは格別です」と話していた。(山崎大和)
2007年12月8日の記事
管内初の1000単位取得 道民カレッジ
 木野の山吹英男さん(68)が、道教委主催の「道民カレッジ」で1000単位取得を達成した。十勝管内で第1号、道内では11人目になる。山吹さんは足かけ6年での目標達成を喜びながら、「私の後に続いてくれる人が出てくることを願っている」と“生涯学習の勧め”に力を入れている。(酒井花)

 道内自治体と連携を図りながら、大学などの高等教育機関で生涯学習の機会を提供する「道民カレッジ」。山吹さんは2001年、十勝管内で最初に同カレッジとの連携講座をスタートさせた「OOJCオープンカレッジ」(帯広大谷短期大学と町教委主催)を受講した。

 大学の多い札幌圏は講座数も多く、単位取得の機会に恵まれている。しかし、山吹さんは十勝での受講にこだわり、同短大、帯広市のとかちプラザ、帯広畜産大学と、時には1日に何会場も掛け持ちしながら受講。学士(100単位)、修士(200単位)、博士(300単位)の称号を取得してきた。

 家庭の事情で大学に進学できなかったことから、キャンパス生活にあこがれていたという山吹さん。今では大学生と肩を並べ、「食と環境」など高度な専門分野にまで学習範囲を広げている。

 山吹さんは町教委主催の高齢者学級、高齢者大学、高齢者大学院と進んで現在に。「音更は生涯学習の環境が整い、恵まれている。短大のスタッフをはじめ、多くの関係者の支えがあってこそ」と周囲に感謝し、「団塊世代の若い人たちにもっと積極的に受講してもらいたい。時間にメリハリがつき、勉強することが心のゆとりにつながる」と話す。

 生涯学習を推進する同短大の多田稔学長は「山吹さんは地域の生涯学習に新しい道を切り開いてくれた」と言い、町教委の小塩教敬生涯学習係長は「これからも山吹さんの後に続く人を支えたい」としている。
2007年12月7日の記事
豆料理囲み交流 農村女性グループと消費者
 十勝北部農村女性グループネットワーク(カシオペア)と消費者との交流会「知ろう・作ろう・食べよう・しゃべろう『豆』」が、4日、町ふれあい交流館で開かれた。今年産の豆料理を味わいながら、生産者と消費者が互いに理解を深め合った。

 カシオペアは音更、士幌、上士幌の北部3町の農家女性70人で構成。昨年から、十勝の食の生産現場について知ってもらおうと交流会を企画している。

 この日は約50人が参加。初めに、北部3町の豆の作付面積が昨年で6354ヘクタール、札幌ドーム3378個分になることなど、生産知識や栽培風景をスライド上映、生産の大変さを伝えた。

 その後、各町の女性グループが手作りした、10品以上の豆を使ったアイデア料理や煮豆、納豆などの伝統食品を並べ、生産者と消費者が食を通じて懇談した。生産者からは「ニオ積みによる風乾は、機械乾燥と比べて色つやと風味が大変良いが、労力やコストが掛かる」、消費者からは「少々高くてもおいしいものがあれば買いたい」などの話題が出ていた。

 参加した音更町在住の主婦、加藤博美さん(36)は「子供がよく豆を食べるので、今回のアイデア料理は参考になった。作る苦労を知って、もっと豆を取りたいと思った」と話していた。(酒井花)
2007年12月7日の記事
十勝の風景など絵画20点
 帯広市在住の米田光博さん(57)による「私の小絵展」が、柳月スイートピア・ガーデン(町下音更北9線)で開かれている。29日まで。

 米田さんは5、6年前から自己流で絵を始め、これまで描きためた小品20点を今回、初めて展示した。「夕日と灯台」「十勝の夏」「冬の羊蹄山」など、十勝の景色を題材にしたり、想像を広げて描いた作品も。米田さんは「これからも幅広いジャンルにチャレンジしていきたい」と話している。
2007年12月6日の記事
物言えぬ時代も「真実」描き続ける 松本さん米寿記念個展
 戦時中、治安維持法違反で美術教師などが検挙された「生活図画事件」の当事者の一人、町在住の松本五郎さん(87)=元下音更小校長=の足跡を振り返る個展が、4日から町図書館展示ホールで始まった。当時、没収を免れて残った「自画像」が5年ぶりに公開され、話題を集めている。(酒井花)

 松本さんは鳥取市生まれ。拓殖移民政策で根室管内中標津町に移り、1936年に旭川師範学校(現道教育大旭川校)に入学。美術部に入部し、人間と社会のありのままを見つめ、写実的に表現する「生活図画運動」の影響を受けた。

 松本さんは41年に特別高等警察(特高)に検挙され、1年もの留置場生活が続いた。当時描いた作品は没収対象になったが、実家の倉庫にたまたまあった「自画像」だけが残った。学生服を着て、正面を見つめる20歳の松本さんの姿。「ごく普通の学生ではあったが、当時の流れの中では危険分子とされた」(松本さん)。

 「自画像」の公表は、2002年に有志が、同事件を振り返る集いを音更で企画したとき以来。このほか、家族の肖像、北国の自然を描写した油彩43点、水彩5点、版画5点、スケッチとデッサンを陳列。写実に徹し、真実を表現しようと描いてきた松本さんの生き方を伝える内容になっている。

 個展は、松本さんが指導する音更美術サークルのメンバーが、松本さんの米寿を記念して企画した。「個展を楽しみにしていた」という妻のミドリさん=享年86=を11月28日に失ったばかりで気落ちしていたが、「メンバーの励ましがあって、悲しみが忙しさに紛れた」と言う。

 まとまった数の作品を前に「自由に物も言えぬ時代があったことを正しく見つめてほしい。平和、人間の生命の大切さを伝えたい」と語っている。

 個展は16日まで(7、10日は休館日)。

<生活図画事件> 旧日本軍の師団が置かれ軍都の旭川で起きた「生活綴方事件」と並ぶ思想弾圧事件。

 1941、42年、旭川師範学校の美術教師・熊田満佐吾氏ら在学生、卒業生26人が検挙された。